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グレシエ=グラン=プジョー

1700年、創設者の名をつけたシャトー・グレシエは、単独でグラン=プジョーの丘陵地帯で自らの歴史を刻み始めました。このワイナリーからシャス=スプリーンが生まれ、2つの隣接したワイナリーは2世紀近く経ってから、当初のように、合併してひとつになりました。しかし、両者の間の違いはその後も維持されます。そして、シャス=スプリーンがグレシエを吸収し、本来の境界線に戻したのです。グラン=プジョーの砂礫丘陵に位置する2つのワイナリーの区画は、つないだ両手の指のように入り組んだままでした。
1840年、ワイナリー創設者から孫たちへの相続が行われた際、畑の半分が失われましたが、フランスおよびヨーロッパの市場で高く評価されるワインの生産は続きました。ブドウネアブラムシ病の発生、戦争、経済危機などがありましたが、代々グレシエ家が所有しており、やがてサンタフリーク家へと引き継がれました。
その後ワイナリーはさまざまな運命を経て、3世紀にわたってこれを守ってきた相続者らは、売却を考えるようになりました。彼らは、幅広い市場に精通し、21世紀という現代のボルドーの卸売業者の求める特徴を知り尽くした、隣人であるシャス=スプリーンにまかせ、この大切なクリュに新たな風を吹き込みたいと願ったのです。シャス=スプリーンは、呼称を維持することを確約しました。
約束通り、グレシエ=グラン=プジョーは譲渡後も存続しています。伝統的に作られてきたワインに忠実に、カベルネ・ソーヴィニョン50%、メルロー50%の配合を守っているメルロ家は、ジャック・メルロの孫娘であるセリーヌ・ヴィラールとその夫ジャン=ピエール・フーベが、ボルドーの仲買人を介して、グレシエを伝統的な市場に出しています。
ワインは、シャス=スプリーンのスタッフの経験に基づく技術アプローチで高められました。より明瞭で、フルーティーで、甘美なワインになりました。

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エリタージュ・ド・シャス=スプリーン

相続、売買、区画整理といった畑の歴史と変遷により、複数のAOC(原産地統制呼称)が1つのワイナリーに集中するに至ることがあります。
シャス=スプリーンはAOCのシステム以前から存在しており、ワイナリーを構成する区画の中には、今日、様々な呼称に分類されているものがあります。
今日、12ヘクタールほどの区画がAOCオー・メドックに分類されています。
原産地呼称委員会(INAO)はメドック地区の階層化されたAOCのシステムを認めています。つまり、オー・メドック地区および認定された村(サンテステフ、ポイヤック、サンジュリアン、ムーリス、マルゴー)で作られるすべてのワインは、間違いなくオー・メドック産ワインですが、その逆は必ずしも成り立たないかもしれません。村名のAOCを表示してよいのは、呼称認定を受けた限定された区画の葡萄のみを用いて作られたワインだけです。
エリタージュ・ド・シャス=スプリーンの成功を前に、市場の要請に応え、当社の選別方針を満たすため、ムーリスの区画の一部も正当にオー・メドックを名乗って良いことを確認しました。つまり、約20ヘクタールほどのオー・メドックの畑からエリタージュ・ド・シャス=スプリーンが作られているのです。
エルミタージュ・ド・シャス=スプリーンと呼ばれていたこのワインは、他の畑のいくつかのワインと名称が同じだったため、2000年に名称が変更されました。
以前から作られていた栄光あるワインに向けられていた配慮をすべて受け継いで幸先良く生まれたこの新しい名は、まさに適切なものだと言えましょう。

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オラトワール・ド・シャス=スプリーン

メドック地区の最高級のワイナリーは、何よりもまず、グラン・ヴァンの持ち味を減じないようにクリュの選別を行い、年ごとの変動を抑制し、生産するワインの品質をある程度安定させることを考えました。メドックのクリュの多くが、1970年代に、この手法を取り入れました。
シャス=スプリーンもこの流れに乗り、1979年以降、オラトワール・ド・シャス=スプリーンを作りました。
畑のどの区画をグラン・ヴァンあるいはセカンドワインに割り当てるかは、葡萄の試食により決定されます。
葡萄果汁は、年ごとに変化しますが、土壌は変化しません。
シャス=スプリーンのテロワールは、2種類の土壌が混じりあったものです。砂礫層の下に石灰粘土層がある土壌と、粘土層の下に石灰層がある土壌です。
年間の降水量と日照の変動による果実の性質は変動しますが、どちらの土壌で育っているかにより、どのように変動するかが異なります。
また、シャス=スプリーンのスタッフが、いかなる気候の変動があろうともファーストワインを作る力がないと判断している区画もいくつか存在します。これをC品質の区画と呼んでいます。
質の良いテロワールはとても「自主性」が高いため、私たちはあまり手間をかけずに済みます。しかし、「劣る」区画には、これを育てていくために多くの作業が必要です。絶えず、質を高めていかなくてはなりません。
それぞれのカテゴリーの区画が持つ潜在力を高めるための作業を行っているのですから、私たちのクリュのすべてが品質を向上させていくはずです。
その年の気候条件によってはグラン・ヴァンに分類される可能性のある区画を、B品質の区画と呼んでいます。熟練が進み、重大な気候の悪影響がなければ、年によってグラン・ヴァンに分類される可能性のある区画はA品質です。品質面での潜在能力を決めるのは葡萄の樹齢です。樹齢が進むにつれて、C品質からB品質、そしてA品質へと順に進んでいく畑もあります。
そういうわけで、セカンドワインには、C品質とB品質の区画で作られた葡萄が、グラン・ヴァンにはB品質とA品質の区画の葡萄が用いられることになります。
さらに、ブドウ栽培と醸造に関する研究により、土壌に合った接木の台木を選ぶ上で目覚しい進歩がありました。この進歩も、葡萄の株のカテゴリーを高めるのに役立っています。

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ブラン・ド・シャス=スプリーン

私たちの仕事には、大きなストレスと大きな喜びという感情の起伏が付き物です。
しかも、赤ワイン用の畑で白ワインを作るという賭けに出て、この起伏の幅をさらに広げることさえしているのです。
この畑は、あまりにも赤ワインに適しているため、AOCメドックを認定された白ワインはありません。岬の畑で作られる白ワインは、AOCボルドーの白ワインなのです。メドック地区には、わずか12程度の白ワインのクリュがありません。
1990年代初頭、2ヘクタールの畑にセミリオンを65%、ソーヴィニョン・ブランを35%植えました。私たちは「白ワイン文化」を持っていいなかったため、木のボリューム、農法、実の成熟度の見分け方など、試行錯誤を繰り返しました。
当初は、家族、友達、シャトーの従業員だけでこのワインを飲んでいました。まだ、このクリュを公表したくなかったのです。
少しずつ、私たちの手法と舌が洗練されてきました。白ワイン品種とそのアッサンブラージュ用に調整されてきたのです。
1995年、初めて流通させたところ、大成功でした。まるで公開直後から映画館が満員になる有名監督の映画作品のようでした。それから、私たちの作品とシャス=スプリーンの銘が、徐々に、ファンを獲得していきました。今日、私たちは、技術と木からワインが生まれるまでのプロセスを通して評価を下す能力に自信を持っており、ブラン・ド・シャス=スプリーンはボルドーの最高の白ワインの仲間入りを果たしました。

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